“帝国大学(のち東京帝国大学) 工学部における数学教育は、外国人教師の帰国後、各学科において数学を得意とする教員によって継続して進められた。明治34年(1901年) には力学講座が作られ、東京帝国大学工科大学を卒業し造船学を専攻する末広恭二(1877−1932) が講師となり担当した。このときも全体の数学教育は、各学科の数学力学に精通した教授たちが実際に担当した。「元来、数学は経験とは無関係に純粋論理的に発達した学問であるから、直に応用に適した都合のよう形に作られていないことが多いので、これを実際問題に適用するには、独特の研究を要する(山内恭彦)」という考えのもとに、『教育数学』研究のための数学力学研究室が大正14年(1925年) に新たに設けられ、寺沢寛一が教授に迎えられた(東京帝国大学学術大観(1942)) 。”
藤原毅夫. “理工系数学教育の問題点といくつかの試み”. 教育数学の一側面: 高等教育における数学の規格とは. 京都大学数理解析研究所, 2017, p.64-67, (数理解析研究所講究録, 2021). https://www.kurims.kyoto-u.ac.jp/~kyodo/kokyuroku/contents/pdf/2021-03.pdf, (参照 2024-10-01).
典拠資料:Sanden, H. Practical mathematical analysis. Methuen, 1923, xv, 195p. 資料ID:1001059193
受入年月日:大正14(1925)年7月25日
https://opac.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/opac/opac_link/bibid/2002669238
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